なんとも物騒な感じのタイトルは、書籍からの一節です。
先日の記事で紹介したピープル・ウェアについて、
さらっと紹介を終わらせるには惜しい本だったので、
話を膨らませてみました。
先日の紹介の繰り返しにはなるのですが、
プロジェクトで浮き彫りになる問題の根源を
技術面でも政治的な側面でもない、
社会学的な面から考察したのがこのピープル・ウェアです。
「生産性」の分母が、「時間」から「賃金」へとすり替わる
プロジェクトの反省点に目を向けてみれば、
やれ段取りが悪いとか、
もっと効率的にこういうツールを使おうとか、
生産性について当然、議論が及んでくるわけですね。
ここで見失ってはならないのは、
生産性=アウトプットの質量/労働時間 を上げるとは、
分母を減らす=アウトプットの質量を保ちながら労働時間を減らす
分子を増やす=労働時間を増やさずにアウトプットの質量を増やす
本来的にはこの二択であるはず、ということです。
しかし現実には、分母の労働時間が賃金コストに置き換わり、
「いかに同じ賃金コストで現場からアウトプットを吸い上げるか」
所謂「やりがい搾取」の議論へといつの間にかにすり替わっている、
というのは多々あるわけですね。
消耗品と化して人が入れ替わり続ける現場になってしまっては、
生産性を上げるどころの話ではありません。
人を環境に適応させるための時間とコストは
嵩張っていく一方になってしまいますね。
生産性を上げるべくダカイゼン(唐突にCA用語)をやっていこうにも、
その過程で人が消耗してしまえば逆に生産性を下げる危険性もあり、
プロマネという名の中間管理職ポストに身を置かれれば、
そのジレンマに悩んだりもするわけです。
「混乱」を目のかたきにするマネージャー
そう、マネージャーもつらいんですよね。
現場をピリつかせる様な直球投げるのも怖いわけで、
成果物への責任がのしかかっているからこそ、
「スマートでもっともらしい管理手法」という追い風にすがり、
もっときっちりやろうぜ、これぞ皆を救う道だ、と言いたくもなるわけで。
本書でも言われているんですけど、
現場の「混乱」をマネージャーは目のかたきにし、
それがエスカレートするあまり、
「混乱」のすべてを「秩序」に塗り替えてしまったならば、
タスクマシーンのための遊びのない無味乾燥な現場のハイ出来上がり。
アレ、なんか皆の目が死んでる…と気づいた時には
手遅れな状況となっているかもしれません。
やっぱり技術面だけではなく、
そこに血が通った人間の存在意義みたいなものを実感させるような、
現場のメンバー各々が自然に意欲高く仕事に向かえる環境、
言うなれば生態系を構築しましょう、というのがピープル・ウェアの切り口です。
“マネジメントにおける究極の罪は、人の時間を浪費することだ”
本書にあるこの言葉に引っかかるものがある方は是非、ご一読を。
マネージャーでもプレーヤーでもプレイングマネージャーでも、
チームの一員としてプロジェクトにあたる全ての人に薦めたい書です。
余談ですが、ピープル・ウェアというタイトルから連想されたのが、
ヘンリー・フォードが嘆いた?とされる「ウェット・ウェア」。
「手を借りたいだけなのに余計な頭までついて来て
もうなんか人間って面倒くさいね」
そんなニュアンスでウェット・ウェアという言葉を用いたと理解しているのですが、
単純労働を無理やり人間に当てはめていた
工業マネジメントな時代の文脈でそのように語られたのでしょうね。
まぁ総論、人間って面倒臭い、というのは不変と言えば不変な話で、
その面倒臭さ、人間臭さに敬意と愛情を持てるかみたいなところが
昨今は問われている様にも思います。
本日の現場からは以上です。