ブログを始めることにしてから、書きかけの原稿がEvernoteにひたすら溜まっていく日々です。GoogleAnalyticsで国別のアクセスとか見てみたら、この国は明らかにこの人って特定出来るやんこれ、みたいな実際始めてみて気づく楽しみ方もあったりします。まだ2本目。こんな調子で、ぬくぬくと、続けていきます。
さて、表題の性弱説については、もう5年以上前からずっと話してきたことでもあるので、長いお付き合いとなる方にはまたその話か、と言われてしまいそうなんですけど、改めてこの場で振り返ってみることにしました。
この言葉に出会ったのは、20代前半の頃の話です。
性善説か性悪説か、どちらかと言われれば性善説を選びますが、これはこれでどうにも行動規範としてはしっくり来ないなぁ、となんとなく感じていました。
最終的には善悪のどちらを取るかと言えば善なんだろうけど、善であることを強く求められる様な印象をどうしても受けてしまっていたんですよね。
人と人は分かり合えると信じつつも、性善説に立つことがその解法となる実感も感じられず、もやもやとしていた中、外資コンサルでバリバリ働いていた大学の先輩に薦められた本で、この「 性弱説 」という言葉に出会いました。
人の「弱さ」と向き合うことに経営の本質があり、再生は言い訳との戦いであるとー。
企業再生の現場をたくさん経験してきた著者冨山さんが語るのだから、何とも重みがあると当時うならされたのを覚えています。
人の揺らぎという余白を持たせられるか
いや、人間そんなに強くないよね、っていう話だけならば至極当たり前のことにも思えてしまうんですけど、弱い故に揺らぐ、という人の性質が、制度設計とか組織の風土を作っていく上で、つい見落としがちになってしまう視点だなぁと、本書でこの言葉に出会って、ストンと腹落ちしたんですよね。
その人の揺らぎを前提に余白を残した設計にしておかないと、環境や制度の維持というものは難しい、もしくは精神的マッチョさが求められる窮屈な形で運用されるものになってしまうというのが、往々にして起こるものです。
人は揺らぐものだというつい抜けがちな視点を、この性弱説という言葉で意識下に置く様になってからは、とても生きやすくなりました。
人が分かり合うというのは、この揺らぎを分かち合うことでもあると考えられると、より冷静に洞察出来る様になった気がします。
社内でも新たな制度を考える時には自然に継続できそうかという視点について議論しますし、それでも実際やってみないと分からない部分が大きい場合には、一定の期間の試運転の後に継続orカイゼンor終了を検討する、という手順を踏んだりで、一度決めたものはやり通そう、というよりは自然淘汰の余地を許す風土ではあります。
もっとも、これは他者受容を前提とした概念であって、全ての組織体に通じ得るものではないとは思います。
元々の性善説、性悪説などを巡る性説というものは、支配と規律と道徳を規定するための性説であり、受容のためのものではなかったのですから。分かりやすいミッショバリューやインセンティブの下に突き進む戦闘集団であったり、圧倒的トップダウンのオーナー組織であれば、基本原理としては不要とされるのでしょうし、私としてはこの性弱説でいられる場所に身を置いていきたい、場づくりをしたい、という話ではあります。
どんな概念も度が過ぎてしまうと良くない、というところで言えば、この性弱説を重んじるあまり、現実的すぎる割り切った発想にハマってしまう危険性もあるので、そこは要注意です、というのは念のため付け加えておきます。
人の揺らぎを前提とした概念としてもう一つ大きな影響を受けたものではエニアグラム(某クラスタではおなじみですね)というものがあるのですが、それはそれで手短には語り尽くせないものがあるので、また別の機会に語ってみたいと思います。
また別の話にはなりますが、ブロックチェーンは悪意を持つことがもはやそもそも割に合わない仕組みを実現するという点で、性善説、性悪説を超越した、世界を救う可能性を持った概念と大げさに言ってしまいたくなるぐらいのものだと、猛烈に感動したものであります。これについてもまた今度の機会に。
読書という時間について
ブクログの書評を見返してみた。2009年5月に書いている。
内定者インターンとして仕事を始めてから1年近くの時。この頃にこの言葉に出会えていなかったら、クライアントとの接し方も変わっていたかもしれないし、今の会社でここまでしぶとくやれていたかも分からないし、全然違った道を歩んでいるのかもしれない。そう思えるぐらい自分にとっては大切な言葉です。
読書というのはある意味、自分をメンテナンスするためのフレーズを探す小旅行のようなものだとも思っています。自らを奮い立たせるフレーズもあれば、理性的にさせてくれるフレーズもあって、それが時に塗り替えられていって。
情報のインプットだけならネットサーフィンで十分かもしれない。でもこの情報洪水の中、つい自分にとって都合の良い情報ばかり気づいたら集めてしまいがちで、時には言葉の海に浸かりながら、心を落ち着かせて、フレーズを味わい、自分でも言葉にしてみる。そんな時間は今だからこそより贅沢なものに感じられる様に思います。
こんな感じで、本ブログでは本の紹介がそれなりに多くなってくる予感です。
本日の現場からは以上です!