お金には、様々なベクトルに働き得る、
魔力のようなものがある、という話です。
本来は「力学」の様な言い回しが適切な気もするのですが、
侮れない力というニュアンスを込め、あえて大げさに魔力、と言ってみています。
起業家や経営者というのは常にこのお金の魔力に曝される生き物であり、
我々もその魔力が伴う経営の場に日々伴走する身として、
「お金には色がある」と実感させられる機会は少なくありません。
お金それ自体に色があるというよりも、
お金の「出し手」と「受け手」の関係性、
あるいはお金の「流れ方」によって
色が出てくる、と言い換えることも出来ます。
ケースをいくつか挙げて、考えてみます。
寄付に伴う重さと繊細さ
寄付は出し手への見返りを必要としない点で、クラウドファンディングをはじめとしたプラットフォームも整っていることから、一見すると融資や出資に比べて敷居の低い調達手段に思えるかもしれません。
こんな話を聞いたことがあります。
寄付を受けて活動しているから、アポの移動は駅いくつ分あっても、極力徒歩。
徒歩がどうしても厳しければ電車、タクシーなんてもっての他。
これが融資や出資であれば、事業を回す上での生産性とのトレードオフが入り込む余地が出てきそうなものですが、出し手にお金が還元出来ない寄付だからこそ、質素倹約に努めなければ、という圧力が一層大きく感じられたりもするわけで、繊細な人ほどその重さに悩まされたりするという話を聞きます。
また、事前の情報開示の精度の高さが求められ、軌道修正がしづらい、というのも寄付の傾向と言えそうです。
寄付募集時に公表していた用途と異なる運用をせざるを得なくなったケースであったり、寄付募集者のバックグラウンドで新たな事実が判明するケース等で、「話が違う」として非難が集まる例は、購入型のクラウドファンディングよりも寄付型に多い印象があります。
人情味溢れる寄付の形もあれば、
望まぬ形でネガティブな感情が交わされる寄付もある。
寄付を受ける場合、そういった側面も踏まえながら、寄付を受けた後に走り続けるイメージが出来るか次第だとは思います。
ICOに見るサステナビリティの危うさ
最近話題のICOについて言えば、乱立するプロジェクトの実質9割方は詐欺に近いものだと言われる様な惨状であることは、今さら声を大にして言うようなことではないでしょう。
必要以上に資金を調達出来てしまうことで、受け手があらぬ誘惑に駆られたり、事業を進めるインセンティブを感じにくくなったりしてしまい、その設計にサステナブルさが生じにくく危うい、という指摘もあるわけです。
ハナから悪意を持って始められたプロジェクトについては言わずもがなですが、そうでなくとも、ついお金はあればある程良い、と考え、人の揺らぎとお金の魔力を過小評価してしまうと、上手くいくものも上手くいかなくなるケースが少なくない様に見えます。
定期的に配当がなされ、利回りの観点から金融商品的な価値がつく配当型トークンを活用した設計であったり、イーサリアム考案者のVitalik氏が提唱するDAICOであったり、この危うさへの解決策となり得る方向性も見出されつつあり、健全な議論と規制の下、新たなエコシステムがつくられていくことが期待されます。
給料の手渡しは古いのか
給料袋が手渡される、というのは昭和ドラマで見る様な話にも思えるかもしれませんが、
手渡したことがある、手渡しでもらったことがある、という話を意外に聞きます。
サラリーマンにとっては待ち遠しい(?)給料日も、
経営者にとってはキャッシュが出ていく日。
資金に余裕がないフェーズにおいて、
その重さを分かち合いたいという思いだったり、
やっとちゃんと渡せる嬉しさを噛み締めたいという思いだったり。
そんな思いの乗っかかったお金のエピソードというのも、生まれているわけです。
魔力が宿るお金の話もあれば、
思いが乗っかるお金の話もある。
仕事で出資話の取りまとめやら手続きやらを進めることもままあるのですが、
株式数と出資金額と割合を上手く合わせるシミュレーションであったり、
個々の契約条項の確認であったり、その他必要書類を揃えたりと、
その作業自体は手ざわり感の無い、なんとも味気のないものではあります。
それでも、不可逆な出資に伴う、受け手と出し手の双方の決断がそこにはあって、思いの通う一つの節目に関わっていることにこちらも思いを馳せると、自然と背筋が伸びるものです。
お金を得る手段としての側面だけでなく、
そこに宿るもの、乗っかるものが何かということに
目を向けてみることで、本質が見えてくることもあるのだと思います。
テクニカルな話は求められれば個別にアドバイスをば、ということで、
あえてエモーショナルな側面から、お金について考えてみました。
この手の話は、弊社で運営しているアクセラレータプログラムで
起業家達としきりに話がされていることであって、
その焼き直しの域を出ていない様にも思えるのですが、
法人で言えば融資、出資、寄付etc…
個人の話で言っても、結納、保険、養育費、住宅ローンetc…
公私含め知人友人でお金の決断を伴う場面を迎える人を
しきりに見かける年頃でもあるということで、
改めて書いてみました。
本日の現場からは以上です。